大黄と小黄

 大黄が,いったい瀉下薬なのか駆血薬なのかという論議は,ずいぶんと昔からあったように思う.ただ,漢方医の間ではそもそも大黄が瀉下薬であるとの認識などなかったのではないかということに,最近になって気がついた.大黄を瀉下薬として取り扱ってきたのは,まぎれもなく科学を論議の土俵とする西洋医薬学者たちであって,決して東洋医学にたずさわってきた人々ではなかった.薬学関係の教科書もそれにのっとって記載されてきた結果,現在のような歪んだ大黄像が出来上がってしまったのであろう.
 筆者が大学生の頃は,アントラキノン誘導体のレインをはじめとするアンスロン型化合物が大黄に特徴的に含有されることが教科書に載せられ,まるで大黄の有効成分の本体であるかのように錯覚していた.しかし,今や科学的解析が進み,瀉下活性の本体はビアンスロン類のセンノシドであることが常識となり,最近ではセンノシドが腸内細菌によって代謝されることにより瀉下活性が発現することが明らかにされ,もはや大黄の有効成分はセンノシドがすべてであるかのごとく喧伝されている.今や大黄は瀉下薬であることが,科学的に証明されたというわけである.
 しかし,事実すなわち中国医学ではそうではなかった筈である.少なくとも古代の大黄は瀉下薬(攻下薬)ではなかった.大黄は中国漢代に書かれたとされる『神農本草経』の下品に初収載されたが,薬効に関する記文には先ず「血血閉を下す」とあり,明らかに駆血薬として収載されている.一方,瀉下薬として著名な「芒硝」はほぼ同時代の『名医別録』に収載され,「血血閉」の記載はなく,「大小便を利す」と明らかに大黄とは異なる表現が見える.そして,この「大小便を利す」の効能が,宋代の『日華子諸家本草』において大黄にも追加記載されるのである.すなわち,漢代の頃はもっぱら駆血薬であった大黄が,時代が下るにつれて瀉下薬としても利用されるようになったというわけである.

 
中国産「大黄」(上)とチベット医学で使用されるR.australeの根(下)

 
 では,宋代までは如何であったかというと,唐代の『新修本草』に次のような記載がある.「大黄の性は湿潤で壊れ易く虫に喰われ易い.火で乾燥したものが佳い…作る時には石を焼いて熱しめ,横に寸截して石の上に置きジブジブと音をたてるほどに強く熱し,一日放置する.微かに乾燥したら穴を穿ちて縄を通して干して乾燥したものを佳とする」.これだけを読むと虫害を防ぐための加熱作業であったように受け取れるが,それなら薬用人参などと同様,蒸すだけでもよかったはずである.わざわざ焼け石の上に置いたのは,もっと高い温度を期待したからに他ならない.こうした修治方法は他の生薬にはない.すなわち,そうすることによりセンノシドを分解し,瀉下活性を落したと考えられるのである.どうやら,大黄の瀉下作用は副作用と考えられていたふしがここに窺えるのである.
 ここで,大黄の修治炮製方法に目を投じてみたい.本草書の記載内容を整理すると,古来大黄には自然乾燥品と加熱乾燥品があった.旧暦2月8月に地下部を掘りあげ,根を取り去って塊状の根茎部のみとする.産地でそのまま放置すると夜間は寒さのために凍結し,日中は氷解するという凍結脱水の状態のもとで乾燥する.これがいわゆる軽質大黄で,内部の色は暗色となり,でん粉が固化していないため虫害を受けやすい.一方,掘りあげた根茎部をそのまま火中に投入するなどして加熱乾燥した後,焦げた周囲を削り去ったものが重質大黄で,内部の色は黄色から淡褐色で,このものは虫害を受けにくい.

 
 さて,薬効に関して梁の陶弘景は「此の薬は至って勁利で,脆い者はすなわち服するにあたわず」と記した.「勁利」すなわち「薬効が鋭い」とは,大黄の利する作用すなわち瀉下活性が強いと解することができ,脆いものすなわち軽質大黄は瀉下活性が強いがために敬遠されていたことになる.唐代になると『本草拾遺』に「若し和厚深沈し能く病を攻める者を取るなら蜀中の牛舌片に似て緊って硬い者を用ゆべし.若し瀉洩駿快し陳きを推し熱を去るを取るならば当に河西の錦紋の者を取るべし」と,薬効の異なる2種類の大黄が記載された.前者の「和厚深沈し能く病を攻める者」とは「牛舌片」に似ていることから『新修本草』に記された「横に寸截した後に焼石の上で加熱したもの」によく一致し,また「緊硬」の字義から硬い品質すなわち重質大黄であったことが窺え,後者の「瀉洩駿快」すなわち瀉下作用の強い大黄と明らかに区別されているのである.

 
 中国の大黄は古い時代にヨーロッパに伝わった.一説に紀元前であったという.下剤を必要としていたヨーロッパ人には大いに歓迎され,栽培利用された.学名の創始者リンネが命名したRheum palmatum L.はこの栽培品に対してであった.そして近年,サイエンスが大黄の瀉下活性の本質を証明してしまった.大黄を下剤としたのはまさにヨーロッパ人なのである.今こそ東洋医学の立場で正しく解析する時ではなかろうか.
 われらが先哲吉益東洞先生も『傷寒・金匱』の内容を歴観し,「張仲景は大黄の主たる効能を,特に毒を利する作用であるとしている.故に各処方中では主薬の薬効に随い,よって大黄のみが単用されることがない.例えば,黄連と合することにより心下痞を治し,水蛭・虻虫・桃仁と合することにより血を治し,芒硝と合することにより堅塊を治し,甘草と合することにより急迫症状を治す…」と,多様な大黄の効能を解説し,解毒以外には薬効は特定されていない.大黄を昨今のように瀉下薬としてのみ評価研究することは,大黄の本質を見失うことになりはしないかと危惧される.
中国産「大黄」の原植物
Rheum palmatum L.
高さは約2.5m


 
 ところで,話は大きく変わるが,これまで一つ不審に思ってきたことがある.多くの中国薬物の場合,「大」とつけば必ず「小」に相当するものがあるのに,大黄にはそれがないことである.「大棗」に対して通常の「棗」,「大蒜」と「小蒜」,「大茴香」と「小茴香」,「大薊」と「小薊」等々である.ところが「大黄」には「小黄」にあたるものがない.筆者は次のように考えている.
 実はダイオウ属の地下部はアーユルヴェーダ(インド伝統医学)で健胃,浄血薬として利用されてきた.原植物はヒマラヤ地域に産する小型の同属植物で,瀉下活性はほとんどない.この点についてはすでにネパール,ブータン,西蔵(チベット)などで調査確認済みである.その知識が中国にもたらされた.当時の薬効は『神農本草経』に記されたとおりである.そうするうちに代用品として中国に産する大型のダイオウ属植物が利用されるようになった.いよいよ「大黄」の登場である.従来のチベットからの小型のものと区別するために「大黄」としたのである.ところが,大黄には思わぬ副作用があった.服むと下痢腹痛を引き起こしたのである.人々はこの瀉下作用をなくすために苦労し,強く加熱することでその作用が軽減されることを知った.と言うわけである.

 
 以上,証明はまだできていないが,今もアーユルヴェ一ダで利用され,中国医学では非正品大黄とされているダイオウ(原植物はRheum australe)こそが「小黄」という筋書きである.
 前回の威霊仙もそうであったが,どうやら中国薬物を解析するにあたっては周辺地域の医学をも視野に入れなければならないらしい.実際,チベット族は小型ダイオウの根を天日乾燥させ,茶剤として健胃,強壮薬として利用している.誰もが知っている身近な薬物である.そして,まさにわれわれが利用する「ハブ茶」と同じ効用であることに驚いた.成分的にもアントラキノン誘導体を含有する点で共通している.初期の大黄はこうしたものであったのかも知れない.
ヒマラヤ産のRheum australe
高さは1m弱


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